1924年 | 2月27日、長野県岡谷市に生まれる |
1941年 | 奥田宗弘氏にドラムスを習う |
1947年 | 復員後、大八パン創業、長野県岡谷市で燦星楽団を結成 |
1948~49年 | 長野県スケート連盟設立参加 本家筋の親戚・小口喜代人氏の味噌蔵から「御諏訪太鼓」の譜面(藤太郎覚書)が出てきて 譜面の解読を頼まれ復元をはじめる ≪覚書の部分には、毎年八月一日には諏訪大社の秋宮で、諏訪太鼓の奉納打ちくらべがあり、優劣の順位をつけていたと書いてあり、川中島の合戦以来400年近くも続いた儀式だったという≫ |
1951年 | 明治以降途絶えていた御諏訪太鼓の形をほぼ整え復興する ≪大小さまざまな太鼓を組み合して打つスタイル、組太鼓(複式複打)を 完成させるとともに、「諏訪雷(信玄法性陣礎)」を作曲する≫ |
1953年 | 御諏訪太鼓保存会結成 ≪「天鳴竜尾大神楽」「稲虫送り」「お舟祭りねりこみばやし」などはこの頃に作曲≫ |
1959年 | 長野県初のテレビ放送局、「NHK長野放送局」の開局記念番組「ふるさとのうた」に出演 |
1961年 | 「諏訪湖ばやし(どんどこばやし)」を作曲 |
1964年 | 「東京オリンピック」の開会式に出演 |
1965年 | アート・ブレーキ―と競演「日米ドラム合戦」※計7回に及ぶ競演 |
1967~68年 | 「鉄筒」を生みだす |
1970年 | 「大阪万博」に出演 |
1970~71年 | 「御斜宮司流鏑馬」を作曲 「双盤チャッパ」を生みだす |
1972年 | 「飛竜三段がえし」を作曲 |
1973年 | アジア音楽祭参加競演(バンコク・シンガポール・バリ島・マニラ) NHK昼のプレゼント「中村八大リズムの旅」出演 |
1975年 | ヨーロッパ各国国際公演(西ドイツ・オランダ・スペイン・イタリア・フランス・スイス) |
1976年 | 「(有)御諏訪太鼓興業」を設立 |
1977年 | NHK交響楽団秋季演奏会「日本太鼓とオーケストラのモノプリズム公演」 石井真木氏作曲・指揮岩城宏之氏 |
1978年 | 天皇陛下ご臨席のもと「やまびこ国体」に出演する ≪「信濃田楽万雷のひびき」の作曲・振付をし、総勢416人の打ち手が御諏訪太鼓を打ち鳴らした≫ |
1979年 | 「(有)諏訪響太鼓店」を設立 全日本太鼓連盟創立(現 財団法人日本太鼓連盟)の音頭とり、現78チームの副会長として活躍をした 「カナダトロントキャラバン82’」トロント諏訪太鼓チーム90名育成公演 |
1981年 | 「御諏訪太鼓楽園」を設立 |
1982年 | NHK「昼のプレゼント」にてジョージ川口氏(ジャズドラマー)と競演 |
1983年 | テレビ朝日「題明のない音楽会“樹魂”」野田燎氏(サキソフォン)と競演 |
1985年 | 外務省派遣セントルイス・トロント指導公演にて高野喜長氏(筝曲演奏家)と競演 |
1986年 | 国立劇場開場20周年記念公演「日本の太鼓」出演 「阿修羅」を作曲 |
1987年 | 「オリジナルドラ」の完成 アメリカ・サンフランシスコ近代美術館「東京フォームと精神」太鼓の祭典に出演 オーストラリア「クインズランド・ジャパンフェスティバル’87」出演 富士山太鼓祭り藤掛廣幸氏(シンセサイザー)と競演 武道館「世界会計士大会公演」ジャズの石川晶氏と競演 「天鼓」小口大八の日本太鼓論を出版 |
1988年 | NHK大河ドラマ「武田信玄」に出演 |
1989年 | 角川映画「天と地と」に出演 天皇陛下御即位パレードに長野県代表として出演 |
1990年 | 「世界の太鼓博物館」を開館 「世界平和の祭典」アントニオ猪木氏と共にイラクバクダット |
1992年 | NHK大河ドラマ「織田信長」に出演 |
1997年 | (財)日本太鼓連盟を創立 |
1998年 | 「長野オリンピック」に出演2,000人太鼓揃い打ちを総指揮する |
1999年 | 天皇陛下御即位10年パレードに長野県代表として出演 |
2002年 | アメリカ太鼓連盟発足 |
2005年 | 第4回スペシャルオリンピックス出演 |
2007年 | NHK大河ドラマ「風林火山」に出演 |
2008年 | 孫・山本麻琴の自主公演にゲスト出演し、親子三代共演を果たす 6月27日、永眠 |
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